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1967年「週刊漫画アクション」の創刊と共に誕生したルパン三世が、2017年の夏に50周年を迎えることを記念して、50年間を振り返り、ルパン三世にまつわるお話をして頂きました。

――今年の7月25日でルパン誕生50周年になるのですが、振り返ってみてどう思われますか?

モンキー・パンチ先生(以下、モンキー):もうそんなになるんだよね。長いようですが短かったですね。実は今年はボクの結婚50周年の金婚式でもあるんだよね。

――おめでとうございます。

モンキー:それで思い出すんだけど、連載が始まった年の9月に結婚するから、新婚旅行の計画を立てていたんですよ。そんなとき清水さん(清水文人:当時の週刊漫画アクション編集長)から「お前、新婚旅行に行くのか?」って言われたから「行きたいんです」って答えたら「時間なんてねぇぞ!」って(笑)。その当時、ルパンの連載が忙しかった時期でもあり、恩人である清水さんに言われたら仕方ない部分もあったので、一度は諦めたんです。でも、飛行機のチケットも予約してたので、清水さんには内緒で行くことにしたんだよ。

――強行することにしたんですね。

モンキー:そう。予定では、結婚式のあとそのまま空港へ向かい、北海道に行くつもりだったんだけど、式のあと少し清水さんと話していたら、式場の人が来て「羽田までの車を用意できました」って清水さんの前で言っちゃったんだよ(笑)。そしたら清水さん「何だよお前、どういうことだ! 原稿は大丈夫なのか? 行くなよ!」って怒鳴られましたけど、何とか言いくるめて行かせてもらったんです。

――原稿は大丈夫だったんですか?

モンキー:それは大丈夫、旅行も二泊三日だったので、そんな無理なスケジュールでもなかったからね。でも清水さんにバレたときは「失敗したなぁ! 何でこのタイミングで言いに来るんだよ!」ってちょっと係の人を恨みましたね(笑)。

――新婚旅行まで妨害しようとする編集者もすごいですよね。

モンキー:清水さんとは付き合いが長かったからね。清水さん以外の編集者に言われたら腹が立ちますけど、清水さんとは特別な仲だったからね。清水さんは、ボクの画に対しては、最後までホント何も言わなかったからね。ただペンが遅いとだけは言われたなぁ(笑)。ボクの場合、早く描くのが中々できなかったですね。早くやればできないわけじゃないけど、ギリギリまでやらなかったからね。

――それはギリギリまで待った方が良いアイディアが生まれそうだったからですか?

モンキー:う~ん、じっくりやったからといって良い作品ができたわけじゃなかったから、そうでもなかったんだろうね(笑)。

――締め切りなどで追い込まれた方が作業的にやりやすかったということですか?

モンキー:そうかもね、そっちの方が緊迫感があるし。せっぱ詰まって描いた作品の方が勢いがあることが多くて。ただ、そういう状況に限って、ページが長くなっちゃうんだよ。

――追い込まれれば追い込まれるほど、ペンが乗ってくるということですか?

モンキー:そうだね。描いてる途中に気づいているんだけど、ページ数が長くなっても最後まで描き切っちゃうんだよ。そこから前の方のページから抜いていき、調整していくんだ。例えば最初の5ページで語っていることを1ページにまとめたりね。それで枚数を合わせていくやり方をしてたから。あとどうしてもアイディアが浮かばない場合は、途中から描き始めて、ラストまで描き終えてから、前に戻るなんてやり方もしてたよ。今思うとホント色んなやり方をしてましたね(笑)。逆に、結末は決まっているけどその過程が決まっていない場合には、結末から描き始めてましたから。そんなことがしょっちゅうだったから、描き方も工夫してやってたよね。

――週刊連載だから、本当に大変だったと思いますが、特別な信頼関係を築いていた清水さんとは、どういう経緯でお知り合いになったんですか?

モンキー:ボクの同人誌を読んでくれていて、そこからずっと目を掛けてもらっていたんですよ。それで思い出した。初めて双葉社に行ったときは今のようなビルじゃなく平屋だったんですよ。

――市ヶ谷と飯田橋の間にあった旧社屋の時代ですね。

モンキー:清水さんに初めて双葉社に呼ばれたとき、大きなビルを想像してたから「あれ双葉社がないな?」って双葉社の前をずっとウロウロしてましたよ。と言うのも、講談社に原稿を持ちこんだことがあったんだけど、あまりのビルの大きさにビビっちゃって戻ってきたんですよ(笑)。

――他の出版社にも持ちこまれたことがあったんですか?

モンキー:あとにも先にも持ちこみをしようと思ったのは、この講談社だけでしたね。だから出版社のビルは大きいってイメージがあったんだよね。

――もし講談社さんに持ちこんでいたら、ルパン三世はなかったかもしれませんね。

モンキー:そうかもしれないけど、講談社だったら今のように50年も続くとは考えられないね。講談社に限らず、連載して評判が悪かったら打ち切りってことは当たり前だから、2~3回描いて終わってたんじゃないかな? だから50年も続けられたのは双葉社もだけど清水さんのお陰かもしれないよね、ずっと描かせてくれてたわけだから。他社だったらこうなってなかったと思うし、運が良かったというか良い人に巡り会えたからですよね。

――清水さんとの出会いが大きかったんですね。

モンキー:そうだね、それに東京ムービー(現トムス・エンタテインメント)の藤岡さん(藤岡豊:当時の東京ムービー社長)。この人と知り合ったことも大きいですね。連載始めてすぐに東京ムービーからアニメ化の話があって、藤岡さんと知り合ったんだよ。このアニメ化の話を繋げてくれたのもやっぱり清水さんなんだけどね。清水さんと藤岡さん、この2人はボクに大きな影響を与えてくれた人たちだよね。

――そういう巡り合わせがあっての50年なんですね。

モンキー:そうなんだろうね。清水さんもだけど、藤岡さんにも結構振り回されたよね。突然連絡してきて、「アメリカ行こう!」ってしょっちゅうアメリカに連れて行かれましたよ(笑)。

――一緒にご旅行に出掛けられていたんですか?

モンキー:いやいやそんな呑気な旅じゃないよ。当時、藤岡さんがハリウッドの人と仕事をしてたから、企画会議にハリウッドまでボクを連れて行くんだよ。突然「明日来い!」って感じで電話くるんだけど、こっちは原稿の締め切りがあるから行けるわけがないのに「原稿なんてこっちで描けばいいんだから」って。次の日、ムービーの社員がチケットから何やら全部用意して迎えに来るんだよ(笑)。だから「しょーがねーなー」って感じでハリウッドに行くんだよね。

――では原稿はハリウッドで描かれていたんですか?

モンキー:いや、ほとんど描かなかったかな(笑)。道具は持っては行くんだけど、描く時間がほとんど無くてね。

――ハリウッドでの企画会議で、先生は何をされていたんですか?

モンキー:基本的にはその場にいるだけ。横に通訳がいるから会議の内容は何となく分かるんだけど、こっちから何か意見を言うわけじゃないからタイクツで結局寝ちゃうんだよ。だから毎回「オレ、何のためにいるんだろうな」って(笑)。でもボクは付き合わされてるだけでしたけど、藤岡さんは「日本のアニメを海外に出すんだ」って強い思いを持っている人だったから、頑張ってましたよ。

――実際にアニメ制作の現場の方々とは、どのような関わりを持たれていたのですか?

モンキー:ルパン作品で一番相談を受けたのは、大隅さん(おおすみ正秋:TV1stシリーズの演出)と大塚さん(大塚康生:TV1stシリーズの作画監督)だね。テレビ放映前によく相談に来ましたよ。あと亡くなられましたが、脚本の大和屋さん(大和屋竺:TVシリーズなどの脚本)だね。相談っていうか仲が良かったからよく会ってましたよ。

――1978年刊行のアニメムックに、大和屋さんの「バラとピストル」の脚本で先生が描いた漫画「オレの銃弾は・・・・・・素敵・・・・・だぜ」が掲載されていますが、それは先生と大和屋さんの仲だからこその企画だったんですか?

モンキー:そうだね。ボクは大和屋さんが書いたシナリオが奇想天外で面白かったし、ボクの考え方に近いシナリオライターだったですね。
それと、こちらも亡くなられましたが出崎統さん(『バイバイ・リバティー・危機一発!』などの監督)も藤岡さんに紹介してもらい、彼とは特に付き合いが長くて、飛行機で一緒になることが多かったね。どこに行くか聞くと、藤岡さんに頼まれてアメリカにって言うから「えっオレもだよ!」って。「で、何やるか知ってる?」って聞くとお互い分からないんだよ。えらい迷惑でしたよね(笑)。

――先生は社外スタッフのような感じだったんですかね。

モンキー:藤岡さんとも付き合いが長かったから「しょーがねーか」って感じだよ。でも、藤岡さんが新しい会社を作ってからは、なかなか会う機会がなく、電話とかでご飯食べようって話はするんだけど、結局会えずじまいで藤岡さんが亡くなってしまってね。よくあの人は「飛行船で通勤」するのが夢だって言ってましたね。自宅に飛行船を綱でつないで、飛行船に乗って仕事場まで行き、帰りも飛行船で帰ってくる。それが夢なんだって言ってましたね。それこそ亡くなるまで言っていて、ボクはそういう子供っぽい部分の藤岡さんがとても好きでしたね。

――豪快な夢をお持ちの方だったんですね

モンキー:色んな意味で規格外の人だよね。あと、藤岡さんって交渉するのが上手くて、アニメ化の話も最初にボクのところではなく、清水さんのところに持っていったんだよ。要するに力関係の見極めが上手いんだよね、清水さんに言われればボクが拒否できないだろうって計算で行ってるんだよ。まぁ実際その通りなんですけど(笑)。
ある日、清水さんに呼び出されていったら、そこに藤岡さんがいたんですよ。藤岡さんからアニメ化の説明を受け、清水さんに「折角のいい話なんだから、やってやれよ!」って言われて、イヤって言えないから「わかりました」って(笑)。でも不思議と3人で会ったのはこれが最初で最後だったんですよ。

――人のつながりとは不思議なものですね。

モンキー:そうですね、2人にはかなり助けられましたよ。清水さんにはルパンを育ててもらい、藤岡さんにはルパンを世界に広めてもらいましたからね。何だかんだで50年経っているわけで、80歳になって50年という歳月を振り返ってみると「長かったな」って言うよりも「一瞬だったな」って思えるほど不思議な感じですね。

――本日も貴重なお話をありがとうございました。

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